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投打の人体限界と、矛盾対決を一回一回考えるとしんどい

 テレビ番組にプロ野球選手が出ていて、最後にVR野球をやっていた。
 学者が計算して、人体の構造で出せる限界球速は時速169~172,3kmあたりと言われている。
 で、VRならではの人間には不可能な時速180kmの球が投げられる。プロ野球選手はすぐに反応し、ファウルで粘り、最後はなんとかフェアにできていた。つまり今の人類で直球勝負でやるかぎり、野球は投げるより打つほうが有利なのではと思える。

 そして、最後にVRの時速300kmの球に挑戦。
 飛んでくるものを打ち落とすことに、小さい頃から鍛錬して選抜されたプロ野球選手が無理だった。人間に反応できる速度ではなく、見えたときにはもうストライク。投げてからのスイングでは絶対的に間に合わない。

 となると、拳銃で銃口初速が時速1250km、ライフルだと時速2500~3000km。漫画でよくある銃弾やライフルを切ったり防いだりは、もう人体構造を変えるか、機械にするかでないと反応すらできないと思う。見えたとして、時速1250kmで手足や胴体を動かすことがまた難題。さらには、より高速であるレールガンの実用化も見えてきている。
 こういう銃弾や砲弾や斬撃や刺突、それに対する回避や防御や装甲の矛盾対決は、創作だとアホほど出てくるシーンゆえ、私も大事なときは計算する。しかし、だいたいはだいたいでええわい、としている。いちいち計算する人がいたらえらいねーとは思うが、たぶん創作者でも物語の語り手にはなっていない。

K-1と賞の審査といだてんと

 K-1ライト級トーナメント、一回戦。恭士郎VSインディゴ・ボイド。空手ベースの前者と、オーストラリアのベルトコレクターの対決。恭士郎選手はとにかく下がらないため、間合いが離れることなくフルで打ち合い。最終ラウンドで2ダウンを奪い、勝利。華麗なテクニックを気合いと根性で打ち破る、実に好きな展開。

 大沢文也VSリュウ・ウェイ。前者はゴンナパーへのリベンジを望み、後者は長身かつサウスポーの中国選手。序盤はリュウ選手の長い手足の連打。大味ではなくテクニックもパワーもある。大沢選手が接近戦で連打。一歩も譲らず、僅差の判定で大沢。勝者も納得していない顔だったが、たしかに1パンチ程度の差となると納得しづらい。

 それはともかく、賞の審査が終わって決定。議論も紛糾して大変だった。そのうち受賞者に連絡が行くであろうと思われます。

 翌日、録画していた「いだてん」の初回を見る。美しい夢を見る人がいて、それに追随する人たちも夢見ることができる。たまにそういう人が人類史にいるし、いないと人類に救いがない。

 ドラマで本命視されていない人が急に候補となったように、新人賞も才能がどこから出るか分かりません。娯楽は正規の学問的体系を学んだ人から出るわけでもないようです。私も幼少時から絵を描いていてそちらではダメで、初めて書いた小説で受賞したという経緯です。つまり、本人ですらセンスやら才能やら適性が自分にあることが分からないことが多いと思います。
 書いて初めて分かることなので、なんかやってみるかと思った人はやってみるといいのです。

年始の格闘技

 今になって1・4新日東京ドームを見る。
 飯伏vsウィル・オスプレイ。元空中戦の名手からヘビー転向の前者と、前者に憧れて空中戦の名手となった両者の対決。本人たちが言ったように、これがメインイベントだと思える。
 激しい空中戦と打撃戦。あまりに激しすぎて飯伏は失神KO。シリーズ欠場となる。超人バトルはやはり危険なのだと思う。
 
 k-1
 ライト級トーナメント。篠原VSゴンナパー。99・9%ゴンナパー選手が勝つと言われた戦い。篠原選手が、ゴンナパーの手順である開幕即左ミドルに左フックを合わせて一発ダウンを取り、その後の打ち合いで相手をムキにさせて右フックでダウンさせ、KO。フック二発、25秒ノーダメージで100%の勝利。漫画のような完全な作戦勝ちで、会場が沸騰した。

 文章の格闘技として、賞の選考会で編集さんたちと話す。どうも私の選考は一ヶ月早いらしい。年末年始にそげに真面目にするやつのほうが異常。
 そして選考は私の案と編集部案とで違う。そりゃ双方がそう選ぶであろうというものだが、そこはこうしてもいいのではと提案してみる。まだしばらくは選考の格闘が続く。

負のタッチに気づく

 闇金ウシジマくんで、人生に行き詰って凶悪事件を起こした愛沢が、ヤクザに脅されトラックに轢かれにいって保険金詐欺をするエピソードがあります。

 あれ、負のタッチだと気づきました。愛沢こそが負の上杉和也で、ウシジマくんに「きったねー顔しているだろ。ウソみたいだろ。生きているんだぜ、それで」と言われるわけです。そして「目指せ愛沢、安楽死!」です。
 闇金ウシジマくんに隠されていたタッチへのリスペクトを、あだち充先生に念波で送っておきます。なお届かないでいいです。まったく完全に。

たまには子供に戻らないと死ぬ

 いつものようにボンクラ話をしていると「駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない」という現代詩を思い出す。
 現代では、携帯電話からスマフォへの普及で「乗る駅なんか検索すればいいんじゃね?」とそういう行為の前提から分からなくなっているし、実際そういう子供も消えた。
 すでに数十年前の時点で、ガンダムのモビルスーツの型番やら年代やらを覚えるのは無駄だからやめろと、制作者の富野監督自身が言っている。実際、その覚える行為は創作に、そして現実の成長になんらつながらない無意味で間抜けな行為だ。

 もちろん駅名やモビルスーツを必死に覚えているような子供は、役に立つから覚えているわけではない。
 はっきり言えばボンクラであるが、その糞どーでもいいことを覚えるようなボンクラさが子供にあってもいい。電車や怪獣やモビルスーツやプロレスやジョジョのスタンドについて一度も熱く語らない男の子って、親や周囲や社会のいい子願望に従いすぎて将来が心配になる。
 それらはブラック企業で過労死するか、レイプ事件を起こすナンパ教室や、破滅的で犯罪を起こすカルト宗教やテロ組織に嵌りやすい、過剰適応という病気だと思われる。
 一方で今時、モビルスーツの型番やら性能について科学的に軍事的に~と日常的に語る大人がいたら、一種のピュアさではあるのだろうが、ずっと子供のボンクラさを保ちつづけているのはちと怖い。

 間を取って、たまには子供に戻っていいとは思う。戻らないといけない。こうあるべきとされる大人や自分を演じ、ついにはそれが正しいのだと内面化する、過剰適応を引き起こさないために。
 ……と頑張ってボンクラさの正当化をやってみただけのような気がするぞ。いえーい、ボンクラ最高。