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杞憂

 毎回毎回社会のどこかから出てくる話ですが『アンパンマンの「アンパンチ」乳幼児が暴力的になると心配する親も』とありました。
 この手の心配は、心配性の親たちから何回も何回も出てくるのですが、教育学や心理学や犯罪学のどれでも杞憂だと書かれているから、それを読めばいいと思います。

 それでもあえて言うなら、影響を受ける幼児もいるが、いっしょに見ている親や他人と話して物語と現実の社会の文脈が分かってくると、小学生くらいには自然と普通になるものでしょう。
 その時期になっても凶暴な場合もある。
 ひとつは人生の問題を他者に有益な取柄で解決するより、暴力で解決したほうが楽だと学習してしまった子供でしょう。暴力が日常的である家庭や学校、内戦や戦争地域であるなら、暴力で生き延びるしかないと学習してしまう。
 映像や本というものは一時的な視聴物でしかありません。四六時中本人を取り巻く現実の人間や環境のほうが影響力は強いのが道理です。また創作物に影響力で負けることがあるなら、親の教育力や周囲の影響力が弱すぎるだけでしょう。

 ふたつには、元から凶暴性が強い精神や脳の傾向を持つ、または各種の病気や障害で自制心が低い子供はどうしてもいます。人類には遺伝的に一定数、暴力的なものが出る。それはもう仕方がない。元からのものについては、治療か刑務所での隔離か、現代社会も根本的な解決方法を提示できてはいない。

 本人と家族と周囲と環境の相互作用での暴力や犯罪を、創作物に押し付けたいのでしょうが、たいていは無理筋です。
 遺伝や環境を除いてフラットな場合、何回か言っていることを繰り返しますと、暴力的なメディアなど存在しない、古代や中世の人々のほうが凄まじく暴力的でした。
 人類史では飢餓の低減や経済の繁栄、より先進的な政治や社会システムなどの発明があったが、とくに暴力性の低下は起こらなかった。
 暴力性の低下は歴史上の一点からと明確です。それは近代文学の登場と広範な頒布、またその系譜である小説やドラマや映画や舞台や映画によっての低下です。
 近代文学以前の神話や英雄譚、お伽噺y昔話に暴力低減効果はありませんでしたが、近代文学とそれ以降の物語による「他世代、異性、異民族、異教徒、異国人などの他人であっても、基本的には自分と同じ喜怒哀楽を持つ、同じ人間である」という共感性と抽象的思考が広がれば広がるほど、暴力性は低下しました。人類史を見るかぎり、これ以外の方法で暴力性は低下しないようです。
 つまり、近代以降の作者による近代文学やその系譜であるいろんな形式の物語を、子供がどれだけ見るかで暴力性は低下させられる、と珍しく断言しておきます。
 ふと逆説が出てきたが、現代ではだいたいの創作物が近代文学の系譜であるのだけど、それらがどうしても受け付けないって人は危険ではないかと思える。
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