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三つの要素が重ならないように人生を設計する

 川崎市の登戸で、男が小学生十九人を刺し、子供一人と保護者の男性が一人死亡。犯人も首を切って自殺という事件があった。
  
 作家といっても作品に関連したとき専門家の研究を引用するだけなので、普通の人以上に言えることはない。だけど、個人的体験で、つい最近まで無職の適応障害という人と訴訟で長く対決した経験があり、相手側の異常思考が多少は分かる。

 こういう事件が起こると、世間的には犯人は無敵の人だと推定されていた。報道を見てまとめると、ネットスラングで言う無敵の人は、強くて無敵なのではなく、金も社会的地位も友人家族も、そして未来の希望もない。ないない尽くしで自分の命もどうでもよくて、無敵ということだそうな。

 引きこもりや、それを含む無敵の人の多くは一度社会に出て、挫折して嫌になったというケースが多い。いつでもどこでも起こり得る不幸が重なれば、私でも誰でも無敵の人となる。自分には起こらないという人は、超エリートで今仕事を辞めても一生安泰という人か、そうでなければ自信過剰でなお想像力があまりない人だろう。
 無敵の人の一部は、自分を幸せにしてくれない社会に対して通り魔や自爆テロを仕掛けるが、拡大自殺と言うそうな。
 世界の先進国で起こっているテロは、外国から来たテロリストだけ、ではない。先進国の社会で生まれ育って、なお絶望した人々が起こしていることも多い。日本での無差別な通り魔は、他の国だと無差別銃撃となる。そして一部はテロリストになっていたかもしれない。それぞれの形に分かれるが、拡大自殺の一環だと思われます。

 一部としたように、無敵の人でも大部分の人はおとなしく日々をつつましく生きている。なぜ一部が凶悪事件を起こすかというと、犯罪学では三つの要因があると言われる。社会状況による要素、心理的要素、そして生物学的要素の三つだそうです。
 外国に比べて日本で凶悪事件がめったに起こらないのは、三つの要素が重なることがなかなかないからと言われています。社会がシステムとして生活保護に健康保険に年金と保護をし、家族や周囲も助けることで要素が重なっての詰みになりにくいようにしています。
 川崎やこの手の事件の犯人の過去を見ると、だいたい似通っていて、社会的状況と心理的要素が重なってなる無敵の人というカテゴリに、さらに生物学的な精神疾患や人格の歪みが重なったことで起こったことだと思われる。
 
 無敵の人カテゴリに内包される引きこもりの七割に精神的問題があるという調査もある。先にある病気や人格の歪みで就業や人間関係に困難を抱えてしまう。困難な状況がさらに病気と人格の歪みを呼んでしまう、という悪循環が見える。逆ルートである、不幸の積み重なりという社会状況で引きこもりや無敵の人となった場合、精神が悪化してからの自殺や事件はあるだろうが、拡大自殺という事例はあまり聞かない。
 要素が二つ重なると無敵の人となり、さらに元々ある精神的疾患や人格の歪みが重なると、拡大自殺へと向かう確率が上がってしまうというのが犯罪学の専門家の指摘でありました。

 要素の他の二つは社会と他者の支援、本人の努力でなんとかなるかもしれないですが、この生物学的な問題が大変だと思う。なにより当人が病気によって助けを拒否するので事態が好転しにくい。家族が優しくまたは厳しくし何年経過しても、気持ちの持ちようではない生物学的理由なので、そこが治療されないうちは本人も事態も変わらない。
 そのうち家族すら諦めて十数年となり、当人の就業が不可能となり、何十年と死ぬまで続く。家族は変わらない人を敵視し、養われている当事者も家族を敵視する。最後には家族側は「もう事件さえ起こさないでくれれば」と祈るしかなくなり、当事者が異常心理となれば「事件を起こさないから養え」といった逆転現象すら起こるであろう。

 80,50問題として80代の高齢の親が介護などで外部の人を家庭に入れて、初めて50代の引きこもりが発見されるケースが多くなっている。
 川崎の事例の場合、自治体や相談窓口に十四回も相談をしていてなお事件が起こった。ということは、病気や歪みが原因の場合、ソフト的な社会の支援や周囲のサポートだけでは限界がある。ハードとしての生理学的な投薬やカウンセリングなどが併行されないとほぼ意味がないと思われる(ソフト面の補助は、まず医療の現場へ本人を連れていくために必要で、その後の立ち直りにも必須)
 というのが報道を見ていてのまとめ。
 個人としても、三つの要素が重ならないように人生を設計する、という考えがあってもいい。自分が社会的心理的に詰まないよう予防線をなるべく張り、生物学的におかしいと思ったらすぐ病院に行こう、と思う。

 いろいろやって確率は下げられても根絶はできない。この手のことを解決する絶対の方法があれば、国家も社会も家族も本人もなんと気楽なことか。
 悪いやつを倒せば解決する問題は創作でもやりやすい。だけど、いもしない悪の魔王や怪物なんてものより、弱さや愚かさや不運や不遇や病気や狂気など倒せない問題のほうがよほど人類史の問題だと思う。
 創作者も知識不足や見当はずれや偏見などはそこらの人と変わらないので、間違うことは多い。一方で創作でテーマやメッセージが思いつかない、ないという場合はこの手の問題を考えることから始めるといいように思います。
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