FC2ブログ

近代人意識って大事だけど、しんどい面もある

 作品のどこかに倫理性を求めることから、ダメクズな主人公がダメクズなまま救われる、ということをちょいと考える。
 創作者が近代人であり、主人公をとくに思春期から青年期であるとしたなら、最初ダメでクズに設定する。そして作品進行ごとに内面的にも成長させることが多い。
 
 今更言うほどのことでもないが、これは教養小説のビルドゥングスロマンの系譜の形式で、ゲーテからトマス・マン、ヘッセとか読めばなんとなく感じるだろうが、人は努力や人生経験や苦難を通して成長する、という世界観である。
 ハリウッド映画もだいたい似た形式である。主人公は大人の職業人であることが多いが、根底にはビルドゥングスロマン形式が流れていることが多い。そこでは自分は完成した大人で職業人で一人前としているが、困難に際して、実はそうではない、と知る。そして苦難を通して、落ち込みもするが、最終的に内面が成長し変化することとなる、とかそんなん。

 近代人にとって人生とはそういうもので、人は良くなっていく、と思うというか、そうなってほしいという願望が根底にある。
 現代社会の大人や教師もだいたいそう思っていて、そう言う。努力や人生経験や苦難になんの意味もないです、となるのはいろいろと都合が悪い。
 しかし、たいていの人間が知っているように、苦難や努力や人生経験があってなお、人はたいして良くならない、ということが多々ある。
 多々あるが、それでも大人は世界観として提示しないとならない。
 もちろん世界観であるから、事実ではなく宗教の一種のようなものなのである。が、この意識が近代からの現代文明への発展の原動力なので否定できない。現代文明の産物を享受していてそれを拒否するなら、現代の武器を使って中世の論理を通したい原理主義テロリストと精神性は変わらないじゃろとしか思えない。

 近代以前、古代から中世時代を例に取ると、そこでの人々の世界観は、昨日の続きの今日、今日の続きの明日で、変化もなにも起こらず今が永遠に続く、である。だから発明や発見、個人的努力や経済的な投資をして将来をより良くする、などという観点はあんまりない。
 中世の王や貴族や商人は富を築いたなら蕩尽するが、近代以降、現代の経営者や大富豪は一生働かなくてもいいのに働き、投資をするのが当然となっている(どこで近代が起こったかは、活版印刷による書物の頒布などの説がある)

 一方で、ダメクズが成長せず、クソのままに救われることはノワール小説でたまに見る形式。これもジム・トンプスンの「俺のなかの殺人者」くらいがお勧め。
 これは一歩間違えると、今の自分のままですべてが上手くいってほしい、という単純明快な願望充足となる。登場人物にその資格と能力がないのに違う結果を呼ぼうとすると、作品の世界全体のほうを歪ませるしかなくなる。こういうことをしたいから、こういう世界にする、となる。ある程度は仕方ないが、人とその集団の心を無視しての世界構築が行きすぎると、むしろ怖い。

 話を戻すと、創作者が近代人意識で主人公を成長させようとするのは、それはそれでしんどい。努力して困難に相対しても変化せず、ダメクズである自分は、そのままで救われることはないのか、となる。繰り返すように、誰もが努力や勉強やら困難を通して成長できるわけでもないし、できると思うのもまた単純な世界観にすぎる。

 いつものように、結論はとくにないです。創作者各自が人に深刻な迷惑をかけない範囲でなら好きなようにやりなはれである。深刻な、と条件をつけておくのは、創作は傷つきやすい人やなんらかの事情や疾患を抱えた人を傷つけるものだろう、とは思うので。
スポンサーサイト