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芸術家と戦士と商売人と未来のひとつの進路と

 今更言うほどのことではないが、手塚治虫は偉人であるが問題も多い人だった。
 当時のことを本人もよく描いて答えていて、今から見れば過労死レベルの要求をするパワハラの疑いや事実が多々ある。偉人はその偉人レベルを他人にも求めてしまうとパワハラになる。
 手塚の偉大な業績を成立させるための犠牲として美談となっているが、そこらの企業や個人がやれば邪悪でしかない。その差は多くの人に影響を与え、ときに救うほどの唯一無二の業績と、そこらに転がる代替可能な営利業務や都合の差、と言ってしまえばそうである。
 が、名作ではない、駄作どころか凡作程度を作っていた場合ですら、やはり単なるパワハラ認定されていただろう。名作を作ったとしても、当時にパワハラを受けた人にとっては、被害でしかない。
 さらには、名作制作時に、それが後世の多くの人に影響を与えて救うから、すべての犠牲は許される、という判定はできないし、してはならないと思われる(戦争や大虐殺を起こす人々や独裁者も同じ大義を掲げて、本心から正しいことだと思って殺人や悪を正当化したはずである)

 自他を犠牲にする芸術家がないと名作は生まれないし、戦士気質がないと人は救えない。だけど、パワハラをする芸術家や戦士や偉人なんかいらない、商業利益を求めるだけの優しい商売人的な世界にすればいい、というのも別の地獄を呼ぶ。
 医者や警官や消防士や軍人を育成するときに、パワハラではすまないほどの超圧力がかけられる。そうしないと腕が悪い医師や犯罪者に負ける警官、災害を怖がる消防士や敵から人を守れない軍人しか出てこず、実際に人が死ぬこととなる。

 そして、科学者の予想のひとつとして、もしAIが発達し、すべての仕事をなすようになると、人間にはやることがなくなる。人類は優しい仮想空間でポルノと遊びに耽溺するしかやることがない。
 優しい世界に生きる人類の内心からは、愛や勇気や正義感や気高さといった美徳の一切が消える。他人は自分に損か得かという道具かゲームキャラとしか見えず、自分もそれほど大事とは思えなくなる。手塚が忌避した邪悪すら肯定し、楽しむようになるだろう。
 そうなったとき自他を見て「人は人であるだけで尊い」などとは、全人類が思えなくなるだろう。それでいいじゃないか、と人類がしても、人類の世話をするAIやシステムがこういう人類は別にいらないと判断しないとも限らないし、止める意思を持つ人もすでにいない。

 両者のちょうどいい配分という一点を設定するのもまた問題で、他のすべてを認めないことになる。やりすぎて、功罪含めて平均より上であることが正しい人間である、としたら、世の中の半分は該当しなくなる。
 自分は平均以上だ、と思える人もいつか老人となり痴呆症となるか、精神病になるか、なにかの事故や問題によって犯罪者になるかは分からない。棺桶の蓋が閉じるまで功罪は分からないとよく言われるし、さらには閉じたあとも時間の経過ごとに毀誉褒貶と評価が変わっていってしまう。
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