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毎回酔うことと脳機能

 編集さんに誘われて「Dead by Daylight」を始める。十分以上ぐるぐる逃げると酔う。そういえば、サイレントヒルからモンハン、ダークソウルやブラッドボーンと3Dゲームを始めるたびに酔う。車やバイクや自転車でそういうことはないのだけど、それぞれの作品ごとのフレームというか体感速度が違うからなのだろうか。

 そしてこの手のゲームや勝負、社会生活全般において、冷静さを失ったほうがほぼ確実に負ける。暴走したら勝つ、みたいなことはない。進化の淘汰のうち、動揺しやすく怒りやすい脳や精神機能は生存に不利なだけで、なんのために残っているのだろうかと不思議である。生物的場面で威嚇や処罰行為に移りやすいとかだろうか。
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スラム文化の可視化

 ワイドショーを見ていたら、旅行中の四人の一人がコンビニでトイレ待ちをしていたら退けと言われて、退いたら「ガンをつけただろ」と難癖つけてくる男がいた。放置して外に車で乗ると、先ほどの男性と目があったら「ガンつけただろ」と難癖つけてくる。一時間半後にまたその男に会ってしまい、今度はバットを握って難癖つけてくる。調査によると、男は整骨院に施術を受けてバットと湿布を買って、たまたま再会してしまったらしい。

 不幸な偶然もあるが、昔から世界中の不良やマフィアやギャングなどアウトローは、スラム文化で財産も名誉もなにもないからこそ、舐められると似たような周囲から「あ、こいつは奪って殴っても殺してもいいやつだからやっちゃえ」となり、本気で死活問題になるため、舐められることを嫌う。
 しかし、一部はそういったスラム文化の影響の他に、被害妄想的な心か脳の病気もあるように思う。早めに治療すればいいと思うのだけど、治療すべきという考えがそもそもない場所や環境という不幸もあるだろうなと思う。それらがオンライン化で世界に見えてきた。
 薬でささっと治せる時代が来れば、全人類の悲劇がかなり減るのではと思っている。

銅鐸ひとつでも大変すぎる

 古代の銅鐸の再現番組を見る。
 鋳造の専門家に依頼して銅鐸を作成。当時にもあった石材で型を使って鋳造しようとすると、溶解した青銅の圧力で中子が出てしまって失敗。さらには型の石材が熱せられて炭酸ガスを出し、銅鐸表面に気泡を作る。何回かに分けてのおそろしくゆっくりとした注入と試行錯誤をして完成。
 できた銅鐸を鳴らすと音が一定しない。銅鐸に描かれた図によると、銅鐸は必ず二個セットで吊されていた。図に従ってセットで鳴らすと、相互作用で独特の音が響くようになる。
 銅鐸は丈夫で、大鎚で殴ってもへこむだけで壊れない。400度以上に熱して叩くと、割れる。割れて見つかる破壊銅鐸はわざわざ手間をかけて壊されたことになるとか。近畿と東海で銅鐸はスタイルが違い、また卑弥呼以前、中国の後漢史書の記述からすると、弥生時代中期から後期に二つの国家連合があったのではと推測される。銅鐸は卑弥呼以降でなぜか製作が停止し、銅鏡が作られるようになる。
 古代日本の物語を作った場合、銅鐸は背景の小道具の一個。だけど、道具一個でも使用法や音やスタイルの違いがある。それをすべて確認していくとなると大変すぎる。歴史物はほぼ専門職になってしまうのも分かる。

左利きの法則と変遷

 左利きの法則というのがある。実際、二転三転した説なのだけど変遷がおもしろい。
 人間社会のたいていのことは大多数の右利きのために作られていて、左利きは不利である。また生物学的にも内臓疾患の多さや寿命の短さや精神の疾患を発症しやすいと不利である。
 が、なぜか一定の確率で左利きは生まれ、消滅しない。

 最初に提唱されたのは、左利きが絶対的に有利な場面があるということ。
 左利きは対人戦において、優位である。右利きは左利きと戦うとすべてが逆になるため、やりにくい。対して、左利きは右利きの対戦相手が多いので慣れている。そして左利きが相手でも、自分と同じなので混乱しない。
 だから戦いが多い場所では左利きが遺伝的に有利でよく伝わるとされた。だが、後々調査をすると、歴史的に戦争が多い地域で左利きの人が異常に増えるということもなかったそうな。

 そこで新たな論として、左利きは、戦争以上に対人スポーツでの有利が発見された。格闘技に球技にと、どの文化圏でも昔から対人競技のスポーツ選手は有名かつ優位な社会的位置を占めやすい。子孫を残す確率も高いため、人類から左利きが消えない理由とされる。
 そして、人類の歴史は自分たちが思っているより対人競技スポーツに支配されているという説となっている。

芸術家と戦士と商売人と未来のひとつの進路と

 今更言うほどのことではないが、手塚治虫は偉人であるが問題も多い人だった。
 当時のことを本人もよく描いて答えていて、今から見れば過労死レベルの要求をするパワハラの疑いや事実が多々ある。偉人はその偉人レベルを他人にも求めてしまうとパワハラになる。
 手塚の偉大な業績を成立させるための犠牲として美談となっているが、そこらの企業や個人がやれば邪悪でしかない。その差は多くの人に影響を与え、ときに救うほどの唯一無二の業績と、そこらに転がる代替可能な営利業務や都合の差、と言ってしまえばそうである。
 が、名作ではない、駄作どころか凡作程度を作っていた場合ですら、やはり単なるパワハラ認定されていただろう。名作を作ったとしても、当時にパワハラを受けた人にとっては、被害でしかない。
 さらには、名作制作時に、それが後世の多くの人に影響を与えて救うから、すべての犠牲は許される、という判定はできないし、してはならないと思われる(戦争や大虐殺を起こす人々や独裁者も同じ大義を掲げて、本心から正しいことだと思って殺人や悪を正当化したはずである)

 自他を犠牲にする芸術家がないと名作は生まれないし、戦士気質がないと人は救えない。だけど、パワハラをする芸術家や戦士や偉人なんかいらない、商業利益を求めるだけの優しい商売人的な世界にすればいい、というのも別の地獄を呼ぶ。
 医者や警官や消防士や軍人を育成するときに、パワハラではすまないほどの超圧力がかけられる。そうしないと腕が悪い医師や犯罪者に負ける警官、災害を怖がる消防士や敵から人を守れない軍人しか出てこず、実際に人が死ぬこととなる。

 そして、科学者の予想のひとつとして、もしAIが発達し、すべての仕事をなすようになると、人間にはやることがなくなる。人類は優しい仮想空間でポルノと遊びに耽溺するしかやることがない。
 優しい世界に生きる人類の内心からは、愛や勇気や正義感や気高さといった美徳の一切が消える。他人は自分に損か得かという道具かゲームキャラとしか見えず、自分もそれほど大事とは思えなくなる。手塚が忌避した邪悪すら肯定し、楽しむようになるだろう。
 そうなったとき自他を見て「人は人であるだけで尊い」などとは、全人類が思えなくなるだろう。それでいいじゃないか、と人類がしても、人類の世話をするAIやシステムがこういう人類は別にいらないと判断しないとも限らないし、止める意思を持つ人もすでにいない。

 両者のちょうどいい配分という一点を設定するのもまた問題で、他のすべてを認めないことになる。やりすぎて、功罪含めて平均より上であることが正しい人間である、としたら、世の中の半分は該当しなくなる。
 自分は平均以上だ、と思える人もいつか老人となり痴呆症となるか、精神病になるか、なにかの事故や問題によって犯罪者になるかは分からない。棺桶の蓋が閉じるまで功罪は分からないとよく言われるし、さらには閉じたあとも時間の経過ごとに毀誉褒貶と評価が変わっていってしまう。