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物語をまとう物品の無力感

 老人ホームの職員が老人殺害で逮捕される事件があった。
 事件の背景原因は横に置いておいて、犯人がマーベルのシャツを着ている映像が報道で繰り返し流れる。少なくともシャツに着るくらいには好きなのだろうが、創作者としては「えー、君が好きな作品は精神になんの良い影響を与えていないのか」と思ってしまう光景。
 なんの物語もまとわない各種物品にはなにも思わないが、少なくとも物語には意味があって、その意味をまとった物品を身に着ければ、意味を受け取るものだろうと希望している。一方で、その意味を受け取らない、受け取れない人もいるのは当然ではありますが。
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サルカ二合戦のアシッド感

 サルカニ合戦。
 冷静に考えれば、OPでカニがおにぎりを拾ったと、遺失物横領を自白している。カニのハサミの手で稲作は不可能だし、物理的に握れない、しかも食べられるおにぎりとなると所有者が近い場所からの取得である。横領罪どころか悪意をもってなした窃盗の可能性が高い。
 対して、サル側の柿の種はただ拾ったとし、人の所有物かは分からない物品。誰の所有でもない山野で見つけたものである可能性が高い。
 となると、カニは落とし物を拾ってか盗んで自分のものにし、またそれを交換してもいいとする悪意がある。植物を脅して成長させることから、ちょっと高圧的性格。結果として実った柿をサルに取らせる、といった悔しいであろう相手の内心への配慮のなさも見える。カニ側もたいがいな性格で悲劇の一因を作っている。

 もちろんサル側も相手が不法取得したものに対し、不当な交換を持ち掛け、最後にカニの殺害をなすなど邪悪である。
 サルは最後に親を殺された子カニ、そしてサルから迷惑を受けていた臼、蜂、牛糞に復讐される。これも考えれば、蜂はハチミツを盗まれたかもしれない。が、無機物の臼や、排泄物への牛糞に意識がある問題は横へ置いておいて、臼はまだサルなりのいたずらをしたことがありえる。
 が、サルから牛糞への迷惑ってなんだろう。牛糞に触る、または関係性が成立しにくい。

 という視点はわりとどうでもいいが、見るべきは、これを創作した中世時代の人の倫理観って、こんな感じで野武士や武装農民みたいな、盗んで殺して殺し返す、のだなぁと思える。
 昔話ってこれといい浦島太郎といい、なんかドラッグ決めて見た幻覚っぽい。アシッド。

  あと、サルカ二合戦を読んだ人のほぼ全員が、無機物の臼の擬人化はよくあること、としただろうが、人や犬や猫や馬ではなく、牛の糞だけが意識を持つことに違和感を抱いたと思う。
 牛は全生命が、そして人類の最先端科学ですらなしえない、体内の消化活動だけでの知的生命体の創造をなしている。もうこれ各地にある神話への挑戦ですよ。嘘。やっぱり幻覚説を取りたい。

支援も難しい

 アメリカで「学生ローン全額肩代わり 約44億円 黒人富豪」ということがあった。
 公的な支援ではなく各地の大富豪がパトロンをすればいい、ということも言われるが、あまり良くないと思う。
 その場合、支援するかしないかは、なんらかの合理的な判定ではなく、富豪の気分次第である。支援を受けた学生などのほうは、必然的に大恩あるパトロンにおもねるしかなくなる。支援を受けるほど優秀な人がそんな精神性になると、優秀さが消えてしまうのではと思う。
 ネットでの大金ばらまきが批判されたのも同じ理由であろう。大富豪も嫌いなやつに支援しないし、支援を受けたいほうはおもねるしかない。どうしても言論を歪めてしまうのだ。同時に誰かに助けられようとまったく恩に感じないのは、ただ単に邪悪で支援する必要もない。

 また、誰かに助けを受けるということは、心理的負債となる。生活破綻するほど困っていても他人に助けられるのは嫌だ、という男性がホームレスに多いのも同じであろう。
 となると、恣意性が絡まない社会システムとしての支援だと、受けるほうの心理的負担が少ない。あくまで誰かの気分次第の哀れみを受けたのではなく、システムから権利の一環としての支援を受けた、のほうが気楽になる。
 ただ、誰かに助けられようとまったく恩に感じないのは、ただ単に邪悪。それでも金を与えておとなしくしとけとする場合、やはり社会システムからにしないと、双方に恨みが発生する。
 
 もちろん冒頭の事態も金持ちの気まぐれである。ただ、これからを縛るのではなく、卒業式に君らの未来の負債を取り除こう、というのは心理的負担を少なめにする寄付の仕方であると思う(少なめ、としたようにこれに恩を感じて~という負担はあるだろう)

モンスターの言動の費用負担をする余裕がいつまであるのだろうか

 通販が発達してきたが、モンスター返品者というものが出てきたという番組があった。
 通販で買ったDVDのケースのみ、または紙切れや紙粘土を入れて返品する。または一眼レフカメラを弁当箱に石を入れて返品する人がいる。重さで抜き取りをばれないようにするそうな。
 服や帽子にいたっては、春と秋に返品が急増するそうです。春は卒業式や入学式のスーツやアクセサリーを、もう最初から返品することを予定して返す。秋にも急増し、ハロウィンの衣装を一回も使用していないと偽って返す。
 用事やインスタ写真だけ撮って服を返品する人もいる。さらには、衣替え気分で季節ごとに服を買って返品するを繰り返す。
 かと思えば、自分が所有するヘッドフォンが古くなったからと同じものを通販で取り寄せ、古いものとすり替えて返す。さらには高級ブランド品を買って偽物とすり替えて返品する犯罪者もいる。
 原因は知らん。個人の推測でいいなら、本来は客としてはいけない層にまで通販が広がっているからだと思う。

 店側も防衛策としてモンスター返品者を登録し、取引を断るケースが増えている。いずれ情報が共有されていくだろう。
 世界的に電子的に人の信用度を評価する流れが来ている。クレジットカード履歴や預金の金融情報の他に、SNSなどでの発言が、人の全体的な信用度で測定される。
 
 通販では異常な返品率は5%から6%でそれを含めての価格設定がされていて、真面目な人がダメで邪悪な人の被害の費用負担をしていることになる。おそらく社会もそんな感じで、ダメで邪悪な人の被害を真面目な人が負担しているが、これから先、それを許すほどの余裕が社会にいつまでも続くとは思えない。
 どうしても礼儀正しく真面目に振る舞えないって人、一面では弱者である人にとっては生きづらい世界になると思われる。

最近見たもの

 DBDって、あれ、モンスター側を操作できるモンスターハンターだなと思った。
 対戦ゲームでモンスター側になるおもしろさは、L4Dから知ったように思う。人間とゾンビ側を交互プレイするので非対称性も続かない。むしろ作戦を立てられるゾンビ側のほうがおもしろかった。なお辞めている間にDBDにバベチリが販売されていて、もうええわってなった。

「ノーカントリー」
 見るのは四回目くらい。
 いろいろ評論するのは今更である。で、最近チョコラータとセッコを見て思い出したが、取引が不可能な凶悪型サイコパスのシガーを、組織はどう制御していたのか。ちょいと自分ルールに違反すると出会った人や同僚や自分を雇うボスを殺す気質で、どうやってあの年まで生きられたのか。
 当時から生身の人間というより不条理な死の象徴だと解釈されたが、寓話的すぎてあまり怖くないなと気づいた。金やセックス、または狂気や病気に頭が支配された小人物の脅威のほうが日常では大きく、怖い。

「SUITS」
 夜中にシーズン1やっていた。司法試験すら楽勝で一度見たことを忘れない天才が、友人の麻薬取引の手助けをしているうちに、弁護士事務所に学歴偽装で入りこむ話。アメリカのほうが日本よりきっつい学歴社会だと思う。
 前に言ったが、欧米系の現代ドラマの主人公は、一流大卒でないとつけない職業、政治家や指導者、医者や弁護士、科学者や特殊捜査官などが多い。映画だとそうでないけど、ドラマは職業ものが強い。業務内容を長く見せることがおもしろさだからだろう。
 向こうからすると、とくに取柄も技能もない普通の人、下手をしたら無職が主人公である日本のドラマが珍しかった(今はアジア圏を中心にわりと増えた)
 あと後のメーガン妃がパラリーガル役で出ていたことを思い出す。

「インフェルノ」
 ダン・ブラウンさんのルネサンス漫談の映画化の第何弾か。狂信的な大富豪が、ウイルスを使って人類の半分を殺すことを企むのを、主人公が阻止するぞーって映画。

 この手の粛清論者の話はどうなんだろうと思う。もちろん野放図な人口爆発が良いわけがないが、人類は現在まではその数と多様性、交換によって発展してきたので、半分を殺したら、現状維持どころか衰退していくと思われる。人類史の問題、飢餓に病気などは、ほとんどすべてが発明と発展によって解決してきた。
 今でも完全に解決はしていないが、飢えれば農薬や品種改良で増産された食料で食事をし、病気になれば医者に診てもらい、薬の投与や手術を受ける。いくつかの疫病は疫学的対処によって根絶された。法律や保険や年金の社会制度なども補助している。

 たしかに現代とこれからは、より知性が重要になる時代なので、それほど多くの人口はいらない。一定以上の優れた知性をどれだけ多く確保するかが大事となる。
 だが一定以上の優れた知性なんて現状の産児システムでは確率的にしか現れず、優れた知性に育てるための環境と教育が必要。その総合量を測るならともかく、無差別な人口半減計画を許すほど人類に猶予はないんじゃねーのと思う。

 ドリフターズの黒王が提示した永遠の中世世界は、恒星と惑星に寿命があり、資源その他が有限である以上、永遠ではない。資源消費速度がやや遅くなるだけで、確実に破綻する(むしろ資源採取技術が発展せず、対応できる技術がないうちに来た大災害や疫病などで早く滅亡するかもしれない)

 人類の行き先を考えると、歴史学者のウォーラ・ステインが言ったように「歴史を変えることも止めることもできない。加速させるしかできない」であろう。
 人類という店子は大家である地球が破綻しないうちに、発明し開発し発展し、最終的には他の天体へと脱出するしかない。さらには他の宇宙や他の次元まで脱出できたら、永遠の存在になれるだろう。
 が、その前に多少優秀だろうが超天才だろうが、人類そのものがすべてAIに比べれば無能で不必要だとされ、退場しているかもしれない。