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人類最高峰の職業二種と、汎用知能

 DBDを半年ぶりにやってみたら、破滅つきルーレット判定が95%くらい成功する。野球ゲーのパワプロの速球変化球にチェンジアップに比べたらタイミングだけで助かる。とある技能や知識は他の分野でも使えることがある。すごーくどーでもいい例で説明したけど!

『史上初の「宇宙犯罪」!? NASA飛行士が口座不正アクセスか』という話。
 人類最高峰の存在を専門で考えると、そら専門家がぶっちぎる。だけど、総合力で考えると、人類最高峰の肉体と高い知能を要求されるアメフトの選手か、基本なんらかの博士か医者でありながら、強靭な肉体を持つ宇宙飛行士であろう。
 その宇宙飛行士ですらしょーもない犯罪をするなら、現行人類は完璧には程遠いのだろうなと思えます。

 そういえば人類の知性は汎用知能と呼ばれる。だけど宇宙規模で考えると、乙女座銀河団の、局部銀河群の、天の川銀河系の、オリオン腕の、片隅にある太陽系の第三惑星の動物である人類の知的能力でしかない。宇宙には他の知性があると思われるし、宇宙規模でのスタンダード知性というのもあるかもしれない。地球人類の知性がスタンダードになるかというと、おそらく違うんじゃないのとは思う。

 ここまで言っていて、普通に地球は宇宙の中心どころか辺境で、人間は進化論的適応をした動物の一種として現代の地球で支配的である生物、と考えているが、地球は神がいる全宇宙の中心で人間は自分は神の子である、と信じる人もいる。現代だと宗教の信徒以外では難しいなと思える。
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戦う前と後

 K-1
 日本対中国の七回戦。
 二勝四敗ですでに負けが決定して、日本の大将は卜部巧也選手。元王者で相手に比べたら戦歴が数段上で勝ち確。が、1Rでまさかのダウン、そして立ったところでまたダウンを取られてKO。
 勝負とは本当に分からない。
 そして試合後に卜部選手の兄が言ったことは「恥をかいた分だけ強くなれる」ということである。昔から、痛い目を見たからこそ人は直そうとしていくと言われている。
 一方で「笑われたくない」と引っ込む人の気持ちも分かる。その場合は恥をかかないように、準備に準備をして、という戦い方もあります。
 どちらがいいかというと、個人的には前者。どれだけ準備を重ねても、人間は完全にはなれないので必ずどこかで失敗して恥をかくしかない。
 もちろん準備をしないのは失敗の準備をしていると作中の諺で作ったように、できうる限りの準備をしながらも、失敗後のリカバーこそ大事かなと。倒れても立ちあがるタフネスさのほうがやや現実的でしょうし。

 ……と、ここまで考えて気づいたけど、準備も前の敗戦からのリカバリーであり、リカバリーも次の戦いの準備と言えますな。人生の問題の解決や戦いは延々と続くので、その幕間になにもしないってのが悪手なのだと思える。

ゴルフからの遊びのバランス

 よくブログを書いているように見えるけど、これ、仕事をしているときでも横にワープロソフトを開いて、そのときに思いついたことや単語をメモしているだけである。なんとなく話が広がりそうだな、という場合だけまとめています。

 ゴルフをやる人がなぜゴルフをやるのかという番組があった。わざわざコースに障害物や砂場や池を作って、朝早くから一日かけて、棒を振って玉を穴に入れる競技など、やらない人からしたら謎であるという視点だった。
 ゴルフをやる人たちに理由を聞くと、プロアマでいろいろ理由がある。ただ、どうやらコースにある障害に、人生やら修行やらを見出しているらしい。
 そしてゴルフはプレイ中、プレイよりも同じラウンドを回っている相手プレイヤーと話している時間のほうが長い。だから一日回ると、より親しくなれるそうな。ビジネスでよくゴルフをしている時代があったのもそういうことらしい。

 たしかに無敵のキャラで進めてなんの障害もないゲームがあったとして、つまらない。無敵で障害もないのだから、創意工夫もなく絶対に勝つという結果が分かっていて、実はやる意味がない。無敵で障害がない人生は存在しないので、その後のなんの参照項にもならない。
 普通の人は、障害があって乗り越えて、なんとなく人生のどこかの場面のような遊びのほうを好むようである。前に言ったように普通にやれば五割、頑張って工夫すれば七割勝てるくらいのバランスが、人にとっておもしろいと思えるゲームらしい。七割以上の勝率は遊びというより作業になる。
 スポーツでもたまにルール改定が行われるが、誰かがずっと勝つゲームというのはルールがおかしいし、プレイヤーも観客もつまらなくなる。
 現実だとずっと勝つやつがいてルール改正が行われないじゃないか、という意見も思いつくが、歴史上ずっと勝利して続く国家はないし、企業でも三十年前とほぼ顔ぶれが違う。個人にしても、競技ならともかく、私生活やその他でも無敗のまま人生を終える人っているのかというと、難しい。
 一方で無敵で障害のないゲームやスポーツや創作が好きという場合は、ちょっと人生のほうが大変なので、そちらをどうにかしたほうがいいと思っている。

リアル罠を踏み、笑いが難しいとされた時代の反転

 猫がキッチンの床に生産物(隠語)を置くようになった。これはいかん癖がつくと、猫除けの棘シートをキッチンの入り口と生産物(隠語)安置所に敷き詰める。
 が、キッチンは普段は暗いため、猫ではなく飼い主が棘シートを踏む。さらに五回くらい踏む。DBDでトラッパーの罠に引っかかる気持ちが分かった。
 夜になるとさすがに覚えて踏まなくなる。が、翌日朝に忘れてまた踏み、ちょっと出血する。猫が覚えるまで、本当に血の出るような我慢である。

「トランスポーター イグニション」
 トランスポーターのリブート。レディガガのコスプレイヤー三人を運ぶ話。
 ジェイソン・ステイサムと同じくらいアクションを頑張っているのだろうが、同じくらいだと地味に思える。

「ラディアン」
 災いをもたらす怪物に立ち向かえるのは魔法使いだが、恐れられるという世界。
 フランス人漫画家原作による作品だが、日本の少年漫画を勉強しすぎて、熱血人外主人公、二重人格ヒロイン、老婆の師匠と、すべてが日本の少年漫画に見えるというか、どことなく真島ヒロ作品に見えてしまう。

「追跡者」
 映画の逃亡者の追跡役だったトミー・リー・ジョーンズがまたも追う。逃げるはウェズリー・スナイプス。
 だけど逃亡者と違う作りで、それがうーんとなる。前作のような冤罪の悲劇性や、逃亡者である医師が逮捕の危険があっても患者や敵に近い刑務官さえ助けるほどの善意を見て、追うほうも迷うシーンがないから、単なるアクションと陰謀劇で終わってしまっている。

「イナズマイレブン オリオンの刻印」
 敵がどんなに卑怯な手を使ってきても、自分たちが卑怯な手を使う理由にはならない、とめさめさ高潔な主人公に泣く。殺し合いではそういうものがすぐ消えてしまうが、せめてスポーツはそうであるべきだと思える。
 ふと気づいたが、日本の創作で感動する話が減ってしまったように思う。昔からある「泣かせることは簡単で、笑わせることが難しい」という言説が広まりすぎてしまって、そうなったのだろうか。
 現代では感動させる話のほうが難しくなっているように思う。愛も友情も勇気も努力も、自己犠牲も高潔さも誇りも笑われてしまう時代だけに。

調子に乗る乗らない

 高校野球決勝。履正社vs星稜だった。
 昔から日本シリーズとWBCくらいは見るが、最近わりと野球を見るようになっている。

 ふと思ったが、甲子園に出るような名門の野球部員は違うかもしれないが、学生時代は野球部が調子乗っていて不快だったという人も多いと思う。
 大人になって考えると、高校生くらいで周囲に応援されてちやほやされて、調子に乗らないのはかなりとは言わないが、まぁまぁ難しいと思う。大人であっても、力や立場を得て調子に乗らないことはなかなか難しい。

 武道では異常なほど礼儀にうるさい。礼に始まり礼に終わるくらいやらせる。そうする理由は、前に言ったように、礼儀で制御しないと格闘、さらには殺人技術を持った、ならずものを作ることになるからであるそうな。
 もちろんスポーツのほとんどもそれくらい礼儀を重視しているが、それでも調子に乗りたい子供を制御するのは難しい。
 むしろ調子に乗って無礼をしたいから力や立場を求める、となっている場合が多々ある。

 セオドア・ルーズベルトは「道徳を教育せず、知能だけを教育することは、社会の脅威となる人間を作ることである」と言ったが、道徳みたいなものを育成するのはとても難しい。礼儀作法を叩きこまれた人でもおかしくなることは多い。
 一卵性と二卵性の双子を比べる双子実験などでは、そういった心理的傾向、性格といったものは、遺伝、つまり生まれた時点で五割から七割、環境要素としては虐待や事件や事故がないかぎり親や教育の影響はあまりなく、仲間環境で決まる、という結果が出ている。仲間環境ってなんやねんというと、喋り方やファッションや考え方で親や教師を模倣する人はおらず、いてもダサって言われる。だいたいの人は、同世代グループや文化での流行に追随して、その影響が強い。
 遺伝はもうどうしようもないが、良い仲間環境を用意することしか社会にできることがない。

 一方で、調子に乗れるほどの場面は、人生においてあまりない。希少だからこそ乗れるときに乗っておけ、と思うのもあるのかもしれない。一回も調子に乗らない、乗れない人生は、むしろ大多数の人の感覚にとって幸福度が低いのかもしれないと思え始めてきた。